ホーム > 刊行物 > 農林水産研究開発レポート > ゲノム情報の品種改良への利用-DNAマーカー育種-、1ページ目
農林水産省農林水産技術会議事務局では、農林水産分野の研究開発について広く国民の皆様に理解していただくため、農林水産研究開発レポートを発行・配布しています。
今回発行いたしました「ゲノム情報の品種改良への利用-DNAマーカー育種-」では、従来の育種法に替わる革新的な方法として認められつつあるDNAマーカー育種に向けたわが国の技術開発状況を紹介します。
我が国の農業は、国際化の加速と国際競争の激化などの中で、早急に体質を強化することが求められています。農林水産物の安定供給の確保などが期待されており、その中で、安定多収性、高品質、病虫害抵抗性などの特性を有する作物や家畜の開発が急務となっています。
本レポートでは、最近のゲノム研究の進展とともに、研究が大きく進んでいるDNAマーカーを利用した品種改良技術であるDNAマーカー育種とその技術を利用した作物や家畜に関する研究成果について、農林水産技術会議のプロジェクト研究の成果などを中心に現状と将来展望をまとめました。
『品種改良』あるいは『育種』とは、生物を遺伝的に改良して新しい品種を育成することです。世界初の遺伝に関する法則であるメンデルの法則の発見から100年余りが経っていますが、交雑による品種改良の考え方は、今も昔も変わりません。一方、従来の育種法には、(1)収量や品質など多くの農業上有用な形質(*1)は環境の影響を受けるため、形質による選抜に時間と手間がかかる、(2)遺伝資源(*2)から高収量や高品質、耐病性などの特性(有用形質)を作物や家畜に導入する際に、有用形質だけでなく不良形質も一緒に導入してしまう可能性が常にある、(3)複数の遺伝資源から複数の有用形質を導入するためには更に多くの時間と手間がかかる、(4)育種家の長年の経験と勘を頼りにしている、などの限界がありました。そこで、このような問題を解決し、国民の食に対する多様なニーズに合った品種・系統を迅速かつ効率的に育成するために開発された新しい論理的な育種法が、『DNAマーカー育種』です。
『有用形質』の発現は、天候などの自然環境や、施肥や播種法などの人為的環境によって影響される面もありますが、その能力・限界を決めているのは遺伝子です。遺伝子は、生物の設計図であるゲノムの中に書き込まれており、この遺伝子の情報をもとにタンパク質が作られます。タンパク質は、酵素として代謝に関与するなど生物の生命現象をつかさどっています。簡単に言えば、生命は遺伝子によって支配されていると言えます。この有用遺伝子のゲノム上の存在位置の目印となるDNA(*3)配列が『DNAマーカー』であり、その目印を利用した育種を『DNAマーカー育種』と呼んでいます。本育種法は、環境の影響を受けないDNAマーカーを幼植物の時に解析して選抜を行うため、先に挙げた従来育種の問題点を解決できます。つまり、(1)形質による選抜に要する時間と手間の低減、(2)有用形質に基づく選抜時に懸念される不良形質導入の可能性低減、(3)複数の有用形質を導入する時間と手間の低減、が可能となります。また、その他に(4)子孫の遺伝的特徴(遺伝子型)、つまり交雑で生まれた子孫が父親タイプの遺伝子のみをもつのか母親タイプの遺伝子のみをもつのかあるいは両方のタイプの遺伝子をもつのかの判断や、(5)目的とする優良形質以外は全て親と同じである品種・系統の開発を迅速かつ効率的にできるなど、従来育種ではほぼ不可能であったことが可能となります。このように利点の多い『DNAマーカー育種』は、重要な品種改良技術であり、今後、作物や家畜育種の基幹技術になると期待されています。
*1:特徴のことで、表現型とも呼ぶ。
*2:遺伝的変異に富む生物集団の総称のこと。遺伝資源を新しい遺伝子の供給源と考えれば、遺伝資源は『遺伝子資源』とも言える。
*3:deoxyribonucleic acid の略で、デオキシリボ核酸のこと。遺伝子の本体である。
人間は、一人一人、目の色や背の高さなど様々な特徴を持っています。これと同様に同じイネでも、様々な特徴があり、「コシヒカリ」や「ひとめぼれ」など様々な品種の違いとなっています。
この特徴には、育った環境の違いによるものと遺伝子の違いによるものとがあります。遺伝子の違いによるものは、遺伝子の本体であるDNA を構成する4 種類の塩基(アデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T))の並び方(DNA 配列、塩基配列)が違うことによっています。この並び方の違いを調べることで、品種や個体を識別する際の目印として利用することができます。このような、目印となるDNA の並び方の違いをDNA マーカーと呼んでいます。
DNA マーカーはDNA そのものですので、当然のことですが、親から子へ、子から孫へと遺伝していきます。高等生物では、1 つの細胞には同じ種類のDNA が通常2 本入っていますが、生殖細胞(精子や花粉、卵細胞)には、そのうちの1 本が伝えられ、受精という方法で子孫にDNA が伝えられます(図1)。生殖細胞を作る際、一対のDNA の間で組換えが起こり、この時、DNA 上の遺伝子は、遠くにある遺伝子同士よりも近くにある遺伝子同士の方が組換えは起こりにくいことがわかっています。このため、重要な遺伝子の近くにあるDNA マーカーを見つければ、これを目印に重要な遺伝子の存在を確認することが可能となります。

大昔から人類は、数多くの個体の中から望ましい特徴を持つ個体を選抜することで、優良品種を生み出してきました。品種を改良することを『育種』といいます。育種には様々な方法がありますが、近年DNA マーカーを用いることで、効率的に育種することが可能となりました。ここでは、これまでの育種(従来育種)とDNA マーカー育種について、いもち病に強いイネを育種することを例にとって具体的に説明します。
ここに、良食味、多収、早生、耐冷性といった多くの優良形質をもっているものの、いもち病には弱い品種(親品種)があるとします。この親品種にいもち病に強い形質を導入することとします。
1.従来育種
(1) まず、親品種にいもち病に強い品種(耐病性品種)を1 回交雑します。すると、親品種と耐病性品種の両方の形質を持つ子(F1)ができます。このF1 はいもち病に強い遺伝子を持っていますが、この他にも耐病性品種から望ましくない遺伝子を受け継いでいます。目指すのは、いもち病に強い形質以外は親品種と同じである新品種です。
(2) このため、(1)でできたF1 と親品種を再度、交雑します。この結果、さまざまな遺伝子をもつ多くの種類の孫ができます。ちなみに、このように、交雑によってできた子とその両親のいずれかを交雑することを「戻し交雑」といいます。
(3) そして、(2)によってできた多くの種類の孫のうち、見た目や田んぼでの試験の結果をもとに、親品種の特徴をできるだけ多く持ち、なおかつ、いもち病に強い個体を選抜します。
(4) さらに、(3)で選抜した孫と親品種を再度、交雑します。このような戻し交雑と選抜を繰り返すことで、いもち病に強い形質以外は親品種と同じ新品種が育成されます。
このような従来育種は、多くの種類の子孫の中から、人の目や味覚、実際に田んぼでいもち病に強いかどうかをテストすることなどで、目的とする遺伝子が子孫に受け継がれているかどうかを確認しながら選抜を行っています。このため、大規模な栽培を行う必要がある上に、経験や勘によるところも多く、さらに、良食味や早生などは、イネを成熟させて特徴を確認する必要があるため、時間もかかります。また、見かけ上は親品種と同じでも、育成された品種には耐病性品種のゲノム領域が多く残っています。
2.DNA マーカー育種(図2)
(1) まず、親品種について、耐病性品種と区別するためのDNA マーカーを多数探します。さらに、耐病性品種について、いもち病に強い遺伝子を確認するためのDNA マーカーを探します。
(2) それぞれのDNA マーカーを見つけた上で、従来育種と同様にまず親品種に耐病性品種を1 回交雑して、親品種と耐病性品種の両方の形質を持つ子(F1)を作ります。
(3) 次に、(2)でできたF1 と親品種を再度、交雑して、さまざまな遺伝子をもつ多くの種類の孫を作ります。
(4) ここで、(3)でできた多くの種類の孫の種をまき、幼苗まで育てた上で、その幼苗からDNA を抽出します。
このDNA を調べて、DNA マーカーを目印に、いもち病に強い遺伝子を持ち、なおかつ、親品種の遺伝子をより多く受け継いでいる個体を選抜して育てます。
(5) さらに、(4)で選抜した孫と親品種を交雑して、(4)と同様にDNA マーカーによる選抜を行います。これを繰り返すことで(通常さらに1 〜2 回繰り返す)、いもち病に強い遺伝子以外は親品種と同じ新品種が育成されます。
DNA マーカー育種は、通常育種と比べて、幼苗の段階で選抜し、最も良いものだけを残して栽培することができるので、栽培面積や労力がわずかで済みます。さらに、DNA マーカーを目印とすることで、はるかに確実で安定した選抜が短期間でできるのです。また、親品種と同じゲノムを持っていることを確実に判断でき、いもち病に強い遺伝子を含むゲノム領域をできる限り絞り込むこともできます。一方、DNA マーカーの開発に要するコストと期間は、求められる精度などにより違ってきます。例えば、おおよその染色体の場所を特定するDNA マーカーの開発と遺伝子そのものを特定するDNA マーカーの開発はコストも時間も異なります。しかし、一旦DNA マーカーが開発されれば、その作物や家畜の育種効率と再現性は飛躍的に向上するなど波及効果は大きいため、DNAマーカーの開発は極めて重要な研究です。さらに、開発されたDNA マーカーが品種(系統)特異的であればあるほど、汎用性のあるマーカーになります。
